でも人には悪心と共に必ず善心も持っているんだよ・・
善心だけしかありません・・それはあなたはもう仏様って事だよ
『神様、仏様・・』
よくお墓やお仏壇に手をあわせるとき、そして人によっては困った時の神頼み・・
そんな時に口に出す『仏様』
ふっと昔学校で習ったその『仏』という言葉の意味を思い出したんだ・・
『仏』っていう言葉は昔は『佛』っていう漢字だった。
(これを説明すると長くなるので知りたい方はコメを・・)
『イ』は人の意味
『弗』はあらず、しからずという打ち消しの意味
でも『非』とは違う。『非』は是に対しての非であって非は絶対的に駄目だっていう事になってしまう。
でも『弗』は『不』という字と同じで『そうでありながらそうじゃない』みたいな曖昧な意味・・
じゃあ、その『仏』の人であって人じゃないって・・
人の心には必ず善心と悪心がある
悪心のない人はいない
生きている限り日々いろんな所から悪心は湧いてくるものだから・・
気づかないうちに忍び寄ってくるものだから・・
それが人が生きているっていう証拠でもある
だから悪心を持っている、持ってしまったといって反省する事は大切だけど自分を責める必要はない・・落ち込む事はない・・
気づいた所からそれをどう善心でもって挽回するか努力する事が大切なんだよ
それが人が生きている中で死ぬまで努力する事だと思うんだよ・・
だから人生を全うしたご先祖様を『仏様』って言うんだろうね・・
悪心って気づきながら使って楽しい事ってないもの
冗談やいたずらなんかじゃなく自分の、自分だけの利益のために相手への憎しみのために人を騙したりして楽しんでいるように見える人も悲しいかな、この世の中十人十色・・いるかもしれない・・
でも本人も楽しいつもりでやっていても決して本当に楽しめていない
それは心が歪んだ、醜い位嘘の偽りの楽しみ
だから必ず後からどんな形であれ苦しみがついてくる・・悩み事が生まれてくる・・
それは本人にしか分らない、周りには理解されない事かもしれない・・
孤独の暗闇かも・・これほどの苦しみはないと思う
だからできるだけ悪心を使わない努力をしないといけない
善心を使えば必ず本当の楽しみが湧いてくるもん
楽しい生活を送りたかったら善心を使う努力をする事が一番の近道なのかもしれない
悪心を絶対に使わずにいられるのは・・それが『仏』
だから人は誰もが『仏』になるための可能性は持っているんだよ
誰もが善心を持っている
善心を使えば誰もが喜ばしい気持ちになるのを分っているから、善を行いたいって心のどこかででもみんな思ってる
でもこの世の中のせいか、自分のせいか・・
自分で自分のせっかくの楽しみや喜びを制御しているように感じるんだよ
善心を使うのって本当は努力もいらないし苦しい事でもなく悪心でいるよりずっと楽しくて嬉しい事・・
でも世の中が厳しくなると『自分が自分が』ってあまりにも小さな自分っていう我にとらわれてしまって全体がみえなくなっちゃうんだろうね・・
真実が見えなくなっちゃうんだよね・・
真実が見えなくなっちゃったら何が正しいのか善心なのかも分らなくなっちゃって感謝の気持ちもなくなり生まれてくるのは不満と悪心・・
私達は仏じゃなく人・・
だから善心だけで生きていくのは不可能な事かもしれないけど、でも『仏』っていうのは一人一人の心の中にあるべき本当の人生の目標なのかもしれないね・・
自分が今悪心を持っているかどうか、善心をもっているか分らないかもしれない・・
悪も善も何が正しくて間違っているかなんて正直基準がないから分らないもん
だから自分が悪心を持ってしまったって落ちこんだり自分を責めたりしてしまっても・・人から見たら悪心でないかもしれない・・
でも自分が悪心だって思ちゃったら、だからこそ落ちこんでる場合でなく!
善心でもって挽回していくしかない!
ただね・・こう思うんだ・・
そんな時こそ何が大切かって
感謝する気持ち
こころからありがとうって思える気持ちから決して悪心ってやつは生まれてこないと思うから
何に感謝すればいいかも分らなくなったら・・
自分のこの命に、そしてそれを頂いた自分の親に・・感謝



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こちらがトラバさせてもらってありがとうなのですがf^^;
私は昔から文学系がとても苦手だったのでコレを見てただただ「ほぉ〜〜〜っ」と感心しながら読むに至りました(^^)
まだこれしか読んでないけどまた少しずつ読みにきます(笑)